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サイエンスマンの本格科学メモ

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現代物理、進化論、脳科学など、現代の科学についての個人的思考を中心に記録します。

カテゴリ:心理学( 3 )

 心理学の調査や実験結果には、普段あまり意識に上らず、とても驚くべき意外なものがあります。それらの意外なものは、私たちは全く気づかないか、実際に無意識に行なっているもので、それらの心理に気づくことによって、行動や意識に変化が起きる場合があります。したがって、それらを含めて心理学を理解するのは非常に有用であると思われます。

 社会心理学のなかで最も意外で、教訓になる実験結果に、状況の力の強さと恐ろしさがあります。ミルグラムの心理実験(1963年)では、被験者がどこまで権威の指令に対して服従するか試されました。偽の教官からの命令で、偽の被験者が学習を怠ったときに、被験者は偽の電撃を加えます。偽の被験者は芝居により電撃に反応します。この実験で、なんと62.5%もの被験者が、致命的と思われるような最大パワーまでの電撃を、偽の被験者に与えてしまいました。偽の被験者が(芝居で)悲鳴を上げて苦しんでいるのにです。

 ミルグラムの実験は、その裁判がきっかけとなったナチスの官僚の名を取って、アイヒマン実験とも呼ばれます。アイヒマンは裁判で、大量殺人について自分はただ命令に従っていただけだと主張したのです。現在の私たちはとてもそんなことはできないと思うかもしれませんが、もし私たちが当時のナチスに所属していて大量殺人を命令されたら、いったいどうするでしょうか。命令は教官ではなく、ナチスそして国のトップであるヒットラーのものであり、拒否は死を意味します。残念ながらミルグラムの実験は、私たちの大多数が大量殺人を犯すかもしれないと示唆しています。
 アイヒマン実験は、現在では倫理上の問題から行なわれなくなっていますが、電撃条件を制限した実験は最近やられており(2007年)、なんとほとんど同様の結果が得られています。

 また、ジンバルドーらの模擬刑務所実験(1973年等)では、被験者(学生)が受刑者と看守に別れて、刑務所と同じ施設に入れられました。各被験者は、受刑者と看守の役割を演じていくわけですが、しだいに変化が起きていきます。受刑者は萎縮して自虐的になり、看守は厳しく攻撃的になり受刑者を乱暴に扱うようになりました。そして、ついには実験を中止せざるを得ない状態になってしまいました。状況の力はこれほどのものなのです。

 その後、テレビ中継を加えて、同様の刑務所実験が行なわれていますが(2002年、BBC)、まったく違った結果が出ていて、実験は滞りなく終了してしまいました。ジンバルドーの反論は、一つにはテレビカメラの影響ではないかというものです。ちょっとした条件の違いで結果が大きく異なる可能性があるのも、心理実験の難しいところかもしれません。

 日常的なテーマでも、心理実験が参考になることがあります。ひとりの通行人が急に苦しんだり倒れたときに、周囲の人々が全員それを無視してしまうことがあります。一般的には、最近の人々は冷たくなったと思うかもしれませんが、心理実験では違う結果が出ています。実験で異常が起きたとき、多人数でいるときに各人は他の人の振る舞いを認知します。そして他の人々が何もアクションを起こさないのを見て取ると、事態はそれほど深刻でないと解釈し、本人もアクションを起こさなくなります。それが各人に起こって、全体として誰もアクションを起こさなくなります。実験でそのような心理過程が確認できるのです。
 これは、一人でも誰かが行動を起こせば違いますし、一人で異常事態に出会った場合にも違ってきます。また、そのような心理が働くことを知っているだけでも、結果が異なってきます。

 非常に身近なことでは、私たちが感じたり考えるときに、ステレオタイプを使う傾向があり、偏った感じ方や思考をすることがままあります。男性はこうだ、女性はこうだ、外人はこうだ、というような決まった型にあてはめて感じたり考えたりします。それは半ば無意識に作用して、なかなか気づきにくいときもあります。心理学はいろいろな実験により、そのような感性や思考を明らかにしています。そして心理学の知識がある程度あると、ステレオタイプ的な考え方を変えて、さらに個別的な思考をするようにできるようです。

 そのようなことから、「心理学のすすめ」になるわけですが、具体的には高校の選択科目に「心理」をぜひ加えてもらいたいです。心理学は難しいからもっと後で、という考え方もあるでしょうが、心理学は生物や歴史と同等くらいに重要と思われます。難しい理論は必要なく、代表的な実験の解説だけでも十分でしょう。また、実験結果への批判などもある程度必要かもしれません。

 世間には通俗心理学(ポピュラー心理学)があり、まことしやかな心理学があふれています。血液型と性格の話もそのたぐいで、心理学では確立されていません。話として楽しむのはいいですが、有名大学出の会社員でさえまじめに信じているのにはあきれます。なので、通俗心理学に触れる前に心理学を理解しておくのは、非常に大切です。高校の選択科目では遅いかもしれません。内容をやさしくして義務教育の範囲でやってもいいのではないかという気がします。

ヒルガードの心理学

スーザン・ノーレン・ホークセマ / 金剛出版


社会心理学 (New Liberal Arts Selection)

池田 謙一 / 有斐閣


性格を科学する心理学のはなし―血液型性格判断に別れを告げよう

小塩真司 / 新曜社


不思議現象 なぜ信じるのか―こころの科学入門

菊池 聡 / 北大路書房


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by scienceman | 2012-10-22 17:20 | 心理学
 たとえば晴れた日に出かけ、高原に立って向こうを眺めると、次のような光景が見えます。
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    図1 元の風景

当たり前ですが、木々はそこにあるように見え、遠くの山も確かに霞んで存在します。景色は平面的な絵ではなく(図では平面ですが)、ちゃんと立体的に見えます。それはまったく当たり前の出来事であり、そこには何の謎もないように思われます。

 ところが、実際に眼に直接入る光の情報を考えてみると、愕然とします。網膜に光が入力されるわけですが、それはまったく平面の画像でしかありません。もちろん左右二つの眼があって、視差情報が立体感をもたらしますが、片方の眼だけでもそれなりの立体感はあります。要するに入力される情報は、単なる平面画像に過ぎないわけです。
 しかも網膜に分布する視細胞は、視野の中心付近では密にありますが、周辺にいくほどまばらになります。画像としては周辺にいくほどボケてしまいます。また色を識別する錐体細胞は視野の中心に集中し、周辺では疎になります。逆に明るさだけを感じるかん体細胞は中心付近にはなく、周辺に密に分布します。つまり中心付近は色が鮮やかに見え、周辺ではモノクロの画像がぼけて見えます。もし網膜に映っている画像情報を絵に変換することができたら、次のように見えるはずです(盲点、眼球運動は除く)。
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もちろん上は概念的な図であり、現実には違いますが、逆さでもともとの景色(図1)から大きく外れていることは確かです。光が網膜に入ってから視神経が発火すると、神経細胞による論理によりすぐエッジが強調されます。すると次のように変換されます。
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もちろんまた概念的な図です。この情報が脳に送られるわけです。ここで言いたいことは、脳に送られる情報は、元の景色とは似ても似つかないものだということです。

 ではなぜ私たちは、図1のような景色を自然に知覚するのでしょうか。それは入力された似ても似つかない情報から、脳が図1のような立体的な景色を組み立てるからです。すべて脳の中で組み立てられ、一つの3D画像が生成されるのです。つまり私たちの知覚(図1)は、現実には存在しないものであり、頭の中で組み立てられたもの、仮想現実に過ぎません。

 したがって、頭の中で組み立てるときに誤りを犯すこともあります。いわゆる錯覚、錯視です。心理学の教科書にはいろいろな錯視の例があります。もっとも謎の多い錯覚は、地平線付近にある月の大きさです。50%くらい大きく見えます。
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実際の月の大きさは常に、腕を伸ばして持った五円玉の穴くらいなので、これは錯覚と言えますが、その理由には古くからいくつかの説明があります。その一つには、遠くにあるものは大きく見える錯覚から由来する、というもの。月は水平線に近いほうが天空にあるより、実際に遠くにあります。そして同じ円でも遠くにあるものが大きく見えるという錯視があります(ポンゾ効果)。しかし、50%というのはかなり大きいです。手前にいる身長150センチの人が、遠くにいると2メートル以上に見えるということですから、ちょっと信じがたい気がします。ですが、周囲の景色が影響した錯視なのは大いにありそうですし、また、原因は一つではないのかもしれません。

 脳の中で仮想現実がどのように組み立てられるかは、謎の部分が多いです。地平線月の例もしたがって決着がついていません。心理学とそれによって示唆される脳科学によって解明されるときが、いずれくるのでしょう。

ヒルガードの心理学

スーザン・ノーレン・ホークセマ / 金剛出版


認知心理学 (New Liberal Arts Selection)

箱田 裕司 / 有斐閣


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by scienceman | 2012-10-03 18:01 | 心理学
 現代の心理学がカバーする分野の数は膨大であり、それぞれ分厚い解説書が必要なくらいで一人ですべて熟知することはほとんど不可能なほどです。その中で現在活発に研究されていて、しかも基本的な分野は、認知心理学、発達心理学、社会心理学、それに臨床心理学です。

 昔はヴントの構成心理学(心を構成要素に分けて研究していく方法)に始まり、ゲシュタルト心理学(全体のまとまりを重視する見方)、行動主義(行動とその変化のみに注目)、精神分析(無意識を強調する考え方)など、いくつかの学派や主義のどれかに基づいて研究することが主だったのですが、それらはどちらが正しいというものではなく、それぞれ一理はあるもののすべてに適用できるもではありません。したがって、それらの流れを汲みつつ心理学の各分野で適切な方法、あるいは組み合わせ方法を選んで理論を構築し実践に応用していく、という方向になっているようです。

 一般的に心理学では、自然科学とは異なり、すべての人間と環境で適用できる普遍的な理論や法則はありません。いろいろなアプローチがあり、どれが正しくてどれが間違っているとは一概に決められず、決着がつかないことも多いようです。それぞれに利点があり、欠点があります。行動主義では、行動に現われない記憶のような心理を扱うことは難しいですし、構成心理学では説明できないゲシュタルト的な心理現象も多くあります。臨床心理の実際では、個々のケースで応用として最適なアプローチを選ぶことが重要です。

 また、日本では欧米の心理学をそのまま取り込んで、いわば直訳的に日本語に翻訳することが多かったため、専門用語にわかりにくい言葉があります。たとえば「作業記憶」は、working memory の訳ですが、作業の記憶ではなく、コンピュータ用語でいうところの「キャッシュメモリ」のことです。working はすぐに使えるという意味で、訳語ではそのイメージは感じられなくなります。最近では無理に翻訳せずカタカナで表わすことが多いようですが、やはり的確な翻訳を期待します。

 認知心理学において、「思考」を考察するとき、考えに偏り(バイアス)が生じることが議論されます。もっともバイアスが起こりやすいものに「素朴理論」があります。これは自然に身につく理論のことで、典型的な例には「天動説」があります。毎日空を見上げていれば、太陽が地球の周りを回っていると思うのは自然な理論であって、実際人類は何百年もこの素朴理論を信じてきました。残念ながら素朴理論を打ち崩すには何年もかかります。近代の自然科学でもその例はたくさんありますし、現代でもその芽は多く隠れているに違いありません。また、「確証バイアス」というものもあり、人間は確証を少しでも得られると容易にその説を信じてしまうということもあります。天動説に見るように科学の分野でもそれは変わりません。このように、認知心理学や集団心理学が交差する領域で、「科学心理学」という分野が考えられるかもしれません。

 心理学の理論は、 当然のこととして文化・地域・年齢・性別の影響を受けますが、まだ十分に考慮されている状況ではないようです。理論自体もすべての文化・地域で実験・実証されているものはないと思われます。とくに日本では、臨床心理の現場でも、欧米の臨床心理理論の取り込みに追われているだけで、日本文化の特質を生かした心理治療までは至っていないようです。欧米と日本の違いは、端的には個人主義と関係を重視する「間人主義」の違いです。文化の違いを正しく意識して臨床心理を考えていく姿勢が必要と思われます。

 個別の心理学分野については、別途考察したいと思います。

心理学 (New Liberal Arts Selection)

無藤 隆 / 有斐閣


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by scienceman | 2012-05-16 11:34 | 心理学