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サイエンスマンの本格科学メモ

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現代物理、進化論、脳科学など、現代の科学についての個人的思考を中心に記録します。

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 イズムがつく科学

 科学としての進化論、進化生物学には、独特の特徴があります。ダーウィニズムのように○○イズムとも呼ばれる科学の分野は他にはありません。生物進化の考え方自体が必然的に人間を含むため、宗教や思想ともろにぶつかってしまうからと思われます。とくにキリスト教やイスラム教などの一神教の国では、進化の存在を信じない人が多く、科学教育の自律性まで脅かされる始末です。

 進化論の解説書は多数ありますが、欧米の本では進化の存在を力説するものが多く、敵対する創造論やID(インテリジェント・デザイン)論に弱みを見せたくないためか、進化論の問題点を掘り下げることは避けています。純粋に科学的な考察をする前に、難癖とも思われる反論やおよそ科学とも呼べない議論に対処しなければならないとは、進化研究者には同情を禁じえません。

 進化論に反対する真の動機は、証拠が足りないということよりも、進化を認めると社会の規律が保たれないのではないかという恐怖にあるようです。野獣から進化したのならすぐに野獣に戻るのではないかという誤解があります。ドーキンズの「利己的な遺伝子」のイメージも大きかったという意見もあります。しかし冷静に考えれば、進化論はどう生きるべきかの科学ではないですし、進化を認めたところで生活が変わるわけではありません。

 進化論がダーウィニズムと呼ばれる限り、進化論の悪いイメージが払拭されない限り、創造論や創造論から派生する議論との闘いは続くでしょうし、これは進化論の宿命かもしれません。けれど、一神教でない国では、進化論についての科学的議論や思索を深く行なう余地は大きいかもしれません。

 推測でつなぐジグソーパズル

 進化論の宿命にはもう一つあります。現在の生物多様性を生じさせた長い道のりの進化はすでに過去に起こってしまったことで、同じことを目に見えるように示すのはまず不可能です。現在のチンパンジーは、人類の系列と分かれたときのサルとは異なり、人類ほどではないもののやはり進化していて、チンパンジーを進化させれば人間になるというわけではありません。

 化石の証拠にしても、保存され発掘されているものは進化全体から見ればわずかであり、連続的に進化が見られるわけではありません。まさに種分化のときの個体(ミッシング・リンク)もほとんど発見されておらず、直系の化石かどうかも定かではありません。絶滅した傍系かもしれない化石の列を並べて、同時代ならそれほど違いはないと推測して進化を見るしかありません。

 進化論には化石のほかいろいろな証拠がありますが、直接見られない以上、多かれ少なかれ推測が入るのは宿命でしょう。進化論は「推測」と書かれたピースが多く挿入されたジグソーパズルのようです。特に、推測ピースだけで埋めて議論しないように注意する必要があります。また、おおまかな模様が描かれた推測ピースでさえ埋められない部分もあるようです。しかし、全体を少し遠くから眺めると、確かに進化の構図は見て取れるのです。

 自然選択でどこまで説明できるか

 進化論の枠組みはシンプルで、突然変異で生じた形質が自然選択により選別されて多く生き残ることで、あたかも環境に適応したかのように、環境に合わせてデザインされたかのように変化していく、ということです。あと、自然選択は関与しないで、遺伝子の中立的なランダム変異により進化する遺伝的浮動もありますが、実例は少ないと言われています。

 自然選択による進化が有効であるためには、遺伝子による形質の違いが集団にあり、特定の形質に対して繁殖が有利になっていることが必要です。遺伝子に関わっていなければ次世代に引き継がれないですし、繁殖が有利にならなければ選択が行なわれません。

 環境に応じて外見の色が変わるなどの適応と見える変化でも、自然選択による形質の変化がなければ起きないでしょう。環境の色に応じて体の色を変えられるメカニズムが存在するのなら自然選択によらなくても可能ですが、そもそも体の色が周囲とすべて同じかどうか判断できないし、できたとしても色を作る遺伝子をその場で変化させることはできません。カメレオンは周囲とは関わりなく、怒った人が赤くなるように、気分などで決まった色に変化するだけです。

 集団において、あらかじめ遺伝子による体表の色にばらつきがあり、周囲の色からかけ離れている個体のほうが捕食されやすく、したがって何代かその自然選択と突然変異を繰り返すうちに、ほぼ周囲の色になった集団ができ上がる、というわけです。

 では、我々の眼のように精巧にできたものはどうでしょうか。突然変異によりいきなり複雑な構造を持った眼ができる確率はほとんどゼロでしょう。しかし我々の眼のような細工物はいきなりできたわけではなく、最初は光に反応する細胞が皮膚にできただけのものから、次第に段階を追って進化してきたようです。それぞれの段階で、たとえば光に反応できるほうが食べるのに有利で、したがって繁殖にも有利ということが続き、突然変異と自然選択を繰り返して現在の我々についているような眼の構造ができあがったと思われます。それぞれの段階のまま現在に至っている生物もあり、そこから進化の道のりが推測できるのです。

 最初に光に反応する細胞が皮膚にできたとき、傷つくのを避けるため、それは半透明の皮膚の中にできて神経はその上を通ったでしょう。視細胞が増えるとともに、しだいに中央に窪みができて、光の方向がわかるようになり、さらに透明な蓋ができて中にコラーゲンが満たされ、そして蓋がレンズの形に進化して像を結ぶようになります。そうすると、視細胞は網膜の内側に位置して神経が網膜表面に出てくる形になるので、視神経を脳に送るには盲点が必要になります。この眼の構造になれば、視細胞が網膜の表面にあっても傷つく恐れはありません。そうすれば盲点もなくなりますが、進化の段階を考えれば途中で視細胞の位置を逆転させるのは難しかったに違いありません。

 では擬態のような現象はどうでしょうか。これも体の形や模様を周囲に合わせるメカニズムが考えられない以上、自然選択の結果と考えざるを得ません。たとえば花に似せた模様が体表にできている場合を考えると、模様のデザインなどは色も含めて膨大な数になり、いくら進化にかかる時間が長くても無理のように思えます。花を見ながら体表にブラシで模様を描くならともかく、遺伝子には色も模様も見えないのですから、すべての模様と色の組み合わせを試して自然選択の網に掛けるしかありません。

 いきなり出来上がるのが無理なときは、眼の例のように段階を追って進化していく道があります。しかし擬態の場合、途中の段階で自然選択が作用するのか怪しいかもしれません。模様が一部だけできただけで、繁殖に有利になるのかどうかです。けれどこれは人工的に模様をつけ、自然選択が働くかどうか実験できるかもしれません。また、模倣される花のほうも単純な構成からしだいに進化したのかもしれません。擬態する生物とともに、段階を追って単純な構成と単純な擬態模様から複雑な構成と複雑な擬態模様まで、順を追って進化してきた可能性もあるかもしれません。

 いずれにしてもやはり推測ピースを使わざるを得ないですが、できるだけ実証ピースを使って進化論というジグソーパズルを組み立てていくのが肝心でしょう。古代人類の類人猿からの種分化における進化の様子も、ルーシーアルディなど化石の新発見によって、推測ピースを描き直すことになりました。それまでの推測に反して、脳の大型化より二足歩行が先だったのです。

進化のなぜを解明する

ジェリー・A・コイン / 日経BP社


進化の存在証明

リチャード・ドーキンス / 早川書房


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by scienceman | 2011-03-04 14:05 | 進化論